石垣りんの「家出のすすめ」を読みました。
『永遠の詩5 石垣りん』(小学館eBooks)掲載の一篇です。
石垣りんは、1920年(大正9年)生まれの詩人。幼い頃に実母を亡くし、その後3人の義母を持ち、生涯銀行員として家族を支えました。職場の機関誌に詩を発表、同人誌「断層」「歴程」に参加しています。
「家は○○○」と、家のイメージを上げて、自問自答しているような詩です。
「家は地面のかさぶた」だと言うのです。「子供はおできができると はがしたくなる。」というのです。
大人でも思い当たることがあります。現在の私。飼い猫に引っ掻かれた傷が治ってきてかさぶたになると、ついつい気になって触ってしまいます。ポロポロかさぶたがとれると、なんだか嬉しいような、気が軽くなったような(笑)
詩人は家はそんな「かさぶた」だと言います。
わかるような気がします。私はいわゆる「跡取り娘」だったもので、生まれた時からずっと「家」は体に張り付いていて、重くてもおろすことができない重圧でした。あれこれもがいた末にうまく立ち回ることを覚えたので、大人になってからは環境を受け入れて今に至っていますが。
詩人も、銀行員として女1人、家族を支えて働いていたのですから、常にその重みは感じていたのではないかと推測します。
「家はきんらんどんす」「家は植木鉢」「家は漬け物の重石」…‥と、家のイメージは続きます。その後に行頭を下げて、その答えが示されています。
詩人は茶目っ気のある人なのかもしれません、家の重みを笑い飛ばすような、皮肉るような言葉が続いています。
そして最後に詩人は提案します。「みんなおもてへ出ましょう ひろい野原で遊びましょう」と。口調は子供たちに向けているような感じですが、子供だけでなく、大人に向けても、詩人自身に向けても提案しているのです。
狭い家に閉じこもって重圧に負け、くよくよしていてもつまらない。外にはもっと広い世界が広がっているのだから、封建的な家の縛りから外へ飛び出そう、自分自身を解放しようと詠っているのです。