森川義信の「あるるかんの死」を読みました。青空文庫で読みました→図書カード:あるるかんの死 底本は『増補 森川義信詩集』(国文社)991年刊。
森川義信は大正18年(1918,年)香川県生まれの詩人。中学時代から詩を書き、詩誌に投稿していました。昭和12年「LUNA」に参加。ここで知り合った鮎川信夫、中限雅夫らとともに昭和14年「荒地」に加わりました。昭和17年(1942年)25歳の若さで、ビルマの戦地で病死しています。
あるるかんの死
森川義信
眠れやはらかに青む化粧鏡のまへで
もはやおまへのために鼓動する音はなく
あの帽子の尖塔もしぼみ
煌めく七色の床は消えた
哀しく魂の溶けてゆくなかでは
とび歩く軽い足どりも
不意に身をひるがへすこともあるまい
にじんだ頬紅のほとりから血の色が失せて
疲れのやうに羞んだまま
おまへは何も語らない
あるるかんよ
空しい喝采を想ひださぬがいい
いつまでも耳や肩にのこるものが
あっただらうか
眠るがいい
やはらかに青む化粧鏡のなかに
死んだおまへの姿を
誰かがぢつと見ているだらう
映画のラストシーンを見るような美しい詩だと感じました。
アルルカンはフランス語。イタリアの喜劇コメディア・デラルテの道化役。または、単にピエロ、道化師を指してして言う場合もあります。イタリア語でアレッキーノ、英語ではハーレクインと呼ばれます。
この詩のあるるかんの仕事場がどのようなところだったのかはわかりませんが、私は小さな古い劇場をイメージしました。あるるかんは死の直前まで舞台の上で演じていたのではないかと想像します。
体調が悪かったのかもしれません。それでも観客にはそんなことをみじんも感じさせずに動きまわり笑いを振りまくのでした。
やがて幕が下り、アンコールの拍手がまだ響いている中、あるるかんは高揚感で息を弾ませながら楽屋へ戻るのです。そして、突然の死。誰に看取られることもなく、化粧鏡の前で命の炎が燃え尽きます。
そんな想像を巡らせながらこの詩を読みました。道化師は観客に笑いを振りまいて、面白おかしい演技をしますが、その姿は同時に、なぜか悲しさや苦しさも感じさせます。
喜劇の裏には同時に悲劇が隠されているのかもしれません。