くきはの余生

リタイアしてようやくのんびり暮らせるようになりました。目指すは心豊かな生活。還暦目前で患った病気のこと、日々の暮らしや趣味のことなどを綴っています。

大阿蘇・三好達治:日常の一瞬を切り取った静寂

三好達治の「大阿蘇」を読みました。『霾(ばい)/作品三巻壱号』(1932年)に掲載の一篇です。青空文庫で読めます →図書カード:霾 底本は『三好達治全集第一巻』(1964年)

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 三好達治は1900年(明治33)年生まれの詩人、翻訳家、文芸評論家です。1922年に現在の京都大学に入学、同級生の丸山薫の影響で試作をはじめ、百田宗二の雑誌「椎の木」に参加しました。

卒業後は東京帝大文学部仏文科に入学、梶井基次郎、中谷忠夫らが創刊した雑誌「青空」に参加しました。

1964年(昭和39年)心筋梗塞で肉鳴りました。著作は詩集『測量船』他、詩集、歌集、随筆など多数。 

  

大阿蘇
    三好 達治
 
 雨の中に馬がたつてゐる
一頭二頭仔馬をまじへた馬の群れが 雨の中にたつてゐる
雨は蕭々と降つてゐる
馬は草をたべてゐる
尻尾も背中も鬣(たてがみ)も ぐつしよりと濡れそぼつて
彼らは草をたべてゐる
草をたべてゐる
あるものはまた草もたべずに きよとんとしてうなじを垂れてたつてゐる
雨は降つてゐる 蕭々と降つてゐる
山は煙をあげてゐる
中嶽の頂きから うすら黄ろい 重つ苦しい噴煙が濛々とあがつてゐる
空いちめんの雨雲と
やがてそれはけぢめもなしにつづいてゐる
馬は草をたべてゐる
艸千里濱のとある丘の
雨に洗はれた青草を 彼らはいつしんにたべてゐる
たべてゐる
彼らはそこにみんな靜かにたつてゐる
ぐつしよりと雨に濡れて いつまでもひとつところに 彼らは靜かに集つてゐる
もしも百年が この一瞬の間にたつたとしても 何の不思議もないだらう
雨が降つてゐる 雨が降つてゐる
雨は蕭々と降つてゐる

 

雄大な阿蘇の草原に放牧されている馬の風景を描いた詩です。確か、中学か高校の時、国語の教科書に載っていたような記憶があります。

 

延々と続く時間の流れの中から一瞬を切り取ったような風景だと感じました。

三好達治の詩は、情緒的、感傷的なイメージが強かったのですが、この詩は、淡々と雨の中に立つ馬の情景を描写しています。

 

「 雨は蕭々と降つてゐる」とは、雨が寂しげに降っているようすです。

私のイメージとしては、小雨ではなくて、大雨でもなくて、馬が濡れるほどのある程度の強さの雨。

「ショウ ショウ」という音が、雨の音にも感じられまが、風はさほどなくて、あたりは微かな雨音がするだけの静かな空間。

おそらくは、作者はこの風景の外に立って見ているのではないかと感じます。風景の端に立って、カメラのシャッターを切り一瞬の静寂を自分の風景としたのでしょうか。