くきはの余生

リタイアしてようやくのんびり暮らせるようになりました。目指すは心豊かな生活。還暦目前で患った病気のこと、日々の暮らしや趣味のことなどを綴っています。

秋・尾形亀之助:切り取られた秋のワンシーン

尾形亀之助の「」を読みました。

詩集『色ガラスの街』に掲載されている一篇です。

青空文庫で読めます →青空文庫図書カードNo.3213 底本は『現代詩文庫・尾形亀之助詩集』(1975年思潮社) 

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 尾形亀之助(1900-1942)は、宮城県出身の詩人。高校中退後、歌雑誌「玄土」に参加して短歌を書きながら画家を目指しました。その後詩を書くようになって、詩誌「歴程」に参加、いくつかの詩誌の主宰もしていました。

一生の間ほぼ定職に就かずに実家からの仕送りで創作に没頭していました。

 

 

      尾形亀之助

 

円い山の上に旗が立つてゐる

空はよく晴れわたつて
子供等の歌が聞えてくる

紅葉(もみじ)を折つて帰る人は
乾いた路を歩いてくる

秋は 綺麗にみがいたガラスの中です

 尾形亀之助の詩は日常を切り取ったような短いものが多いのですが、この詩も短い詩です。

 どういう状況で書かれた詩なのかはわかりませんが、定職を持たない詩人が、家の軒端に座り、退屈げに煙草をふかしながら外を眺めているような、そんな場面を想像しました。

秋は 綺麗にみがいたガラスの中です」すべてはここに集約されています。

夏の暑さが過ぎ、爽やかな風も吹いていそうな秋晴れのワンシーンが、なめらかなガラスの中に閉じ込められたように、詩人の目にはキラキラ光って見えたのではないでしょうか。

この風景の中には、詩人は存在していません。風景の外から世界を眺めているのです。でも、果たして、ガラスの中に切り取られているのは秋の風景なのでしょうか、本当は詩人が座っている軒端が外界と隔離されているのかもれません。