伊東静雄の「野分に寄す」を読みました。
詩集『夏花』に掲載の一篇。青空文庫で読めます→青空文庫図書カードNo42179
伊東静雄は1906年(明治39年)生まれの詩人。京都帝国大学卒業後高校教師になり、地方公務員として生涯教鞭をとりながら詩を書き続けました。1953年(昭和28年)に肺結核で亡くなっています。
野分に寄す
伊藤静雄
野分の夜半こそ愉しけれ。そは懐かしく寂しきゆふぐれの
つかれごころに早寝入りひとの眠りを、
空しく明くるみづ色の朝(あした)につづかせぬため
木々の歓声とすべての窓の性急なる叩(のっく)もてよび覚ます。
真に独りなるひとは自然の大いなる聯関(れんくわん)のうちに
恒に覚めゐむ事を希(ねが)ぶ。窓を透かし眸は大海の彼方を待望まねど、
わが屋を揺するこの疾風ぞ雲ふき散りし星空の下(もと)、
まつ暗き海の面(おもて)に怒れる浪を上げて来し。
柳は狂ひける女のごとく逆しまにわが毛髪を振りみだし、
摘むまざるままに腐りたる葡萄の実はわが眠(ねむり)目覚むるまへに
ことごとく地に叩きつけられけむ。
篠懸(すずかけ)の葉は翼撃たれし鳥に似て次々に黒く縺れて凌はれゆく。
いま如何(いか)ならんかの暗き庭隅(にはすみ)の菊や薔薇(さうび)や。されどわれ汝らを憐れまんとはせじ。
物皆(ものみな)の凋落の季節(とき)をえらびて咲き出でし
あはれ汝らが矜(ほこり)高かる心には暴風(あらし)もなどか今さらに悲しからむ。
こころ賑はしきかな。ふとうち見たる室内の
燈(ともしび)にひかる鏡の面(おもて)にいきいきとわが双の眼(まなこ)燃ゆ。
野分よさらば駆けゆけ。目とむれば草紅葉すとひとは言へど、
野はいま一色(そといろ)に物悲しくも青褪(あおざ)めし彼方ぞ。
昨日から台風が3つも日本に襲いかかって、事故や被害が起こっています。
北関東の我が家でも、強い風雨が吹き付けて家はガタガタ大揺れですし。雨漏りまでする始末。心配な一日を過ごしました。
そんな中で読んだのがこの詩でした。野分(のわき)は、台風の古い言い方です。
文語体の詩は現代の言葉に慣れた身には、なんとなく理解できるような、できないような、もどかしい気もします。
その一方で古い言葉ならではの独特のリズムや趣があって魅力的です。
冒頭が「野分の夜半こそ愉しけれ。」ですから、なんとのんきなことを言っているのかと思いましたが(笑)
後に続く言葉からは、もしかすると皮肉な意味で言っているのかもしれないなとも思いました。
疲れて夕方早く寝た詩人の眠りを、朝まで続かせないために、木々は歓声を上げ、窓を激しくノックして目覚めさせるというのですから、大きな台風だったのでしょうね。
「柳は狂ひける女のごとく逆しまにわが毛髪を振りみだし」は、風の強さを非常に良くイメージさせてくれます。
詩人は庭の暗い隅に植えてある菊や薔薇の花がどうしているのかと気になりますが、それでも、この野分で散ってしまうのをあわれとは思わないというのです。
みんな最後の季節を選んで咲いているのだから、その誇り高い姿には憐れみはふさわしくないと言うのでしょう。
ふと燈火が照らす鏡に視線を移すと、「いきいきとわが双の眼(まなこ)燃ゆ。」荒々しい気象の中にあって、興奮気味の自分の顔を見いだすのでした。
確かに、いつもと違う特別な環境、風雨が激しく暴れまわる気配に、いつになく気持ちが高ぶることはあります。
もしかすると冒頭の「野分の夜半こそ愉しけれ。」は、こういう気持ちに通じているのかもしれません。