くきはの余生

リタイアしてようやくのんびり暮らせるようになりました。目指すは心豊かな生活。還暦目前で患った病気のこと、日々の暮らしや趣味のことなどを綴っています。

花火・北原白秋: 独りで見るのは寂しい隅田川夏の風物詩

北原白秋の「花火」を読みました。

『東京景物詩』に掲載されている一篇です。青空文庫で読みました。→青空文庫図書カードNo49617 底本は『白秋全集3』(岩波書店)です。

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 北原白秋は1885年(明治18年)生まれの日本を代表する詩人で、短歌や童謡なども多く書いています。1942年(昭和17年)に亡くなっています。

 

花火

 

     北原白秋

 

花火があがる、

銀と緑の孔雀玉……パツとしだれてちりかかる。

紺青(こんじゃう)の夜の薄あかり、

ほんにゆかしい歌麿の船のけしきのちりかかる。

 

花火が消ゆる。

薄紫の孔雀玉…‥紅くとろけてちりかかる。

Toron…‥tonTon……Toron……tonton……

色とにほひがちりかかる。

両国橋の水と空とにちりかかる。

 

花火があがる。

薄い光と夕風に、

義理と情の孔雀玉……涙しとしとちりかかる。

涙しとしと爪弾きの歌のこころにちりかかる。

団扇片手のうしろつきつんと澄ませど、あのやうに

船のへさきにちりかかる。

 

花火があがる。

銀と緑の孔雀玉……パツとかなしくちりかかる。

紺青の夜に大河に、

夏の帽子にちりかかる。

アイスクリームひえびえとふくむ手つきにちりかかる。

わかいこころの孔雀玉、

ええなんとせうも消えかかる。

 隅田川の花火の情景を詠った詩です。

色とりどりに打ち上げられては地上に散りかかる花火。

「歌麿の船の景色」とは、歌麻呂の浮世絵のような打ち上げ会場、両国橋付近の隅田川の風景のことでしょうね。

 詩人が花火を見た頃の東京は、まだ近代化されていなくて、人情味豊かな古き良き下町風景だったのだと思います。

www.ebaragioba.info

 隅田川の花火には、私も少し思いでがあります。

学生時代に一時江東区のアパートに住んでいたことがあって、少し歩くと隅田川の川辺に出ることができました。

花火大会の夜、川辺まで歩いて行って、ひとりで花火を眺めたことがありました。

 おそらくそこは穴場だったのかもしれません。私以外に3~4人の見物人がいるだけで、ゆったり、のんびりと花火を堪能できました。

 でも、花火は一人で眺めるものじゃありませんね。ちょっと寂しかった。

花火は恋人とふたり、または、友達や家族とワイワイ見るものだと思います。

 この詩は、男声合唱曲になっています。 

 男声合唱組曲『雪と花火』 Ⅳ.花火 - YouTube

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