くきはの余生

リタイアしてようやくのんびり暮らせるようになりました。目指すは心豊かな生活。還暦目前で患った病気のこと、日々の暮らしや趣味のことなどを綴っています。

頑是ない歌・中原中也:遠くなってしまった幼い頃の自分を思う

中原中也の「頑是ない歌」を読みました。

詩集『在りし日の歌』(1938年・創元社)に掲載されている一篇です。

青空文庫で読みました。→図書カード:在りし日の歌 、底本は『中原中也詩集』(1981年・岩波文庫)です。 

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中原中也(1907-1937)は、日本の詩人。歌人。ランボオの詩の翻訳も手がけています。30歳で亡くなっていますが。詩は250篇ほど残しています。生前出版されたのが、詩集『山羊の歌』と『在りし日の歌』でした。

 頑是ない歌

       中原中也

 

思へば遠く来たもんだ

十二の冬のあの夕べ

港の空に鳴り響いた

汽笛の湯気(ゆげ)は今いづこ

 

雲の間に月はゐて

それな汽笛を耳にすると

竦然(しょうぜん)として身をすくめ

月はその時空にゐた

 

それから何年経つたことか

汽笛の湯気を茫然と

眼で追ひかなしくなつてゐた

あの頃の俺はいまいづこ

 

今では女房子供持ち

思へば遠く来たもんだ

此の先まだまだ何時までか

生きてゆくのであらうけど

 

生きてゆくのであらうけど

遠く経てきた日や夜の

あんまりこんなにこひしゆては

何だか自信が持てないよ

 

さりとて生きてゆく限り

結局我(が)ン張る僕の性質(さが)

と思へばなんだか我ながら

いたはしいよなものですよ

 

考えてみればそれはまあ

結局我ン張るのだとして

昔恋しい時もあり そして

どうにかやつてはゆくのでせう

 

考へてみれば簡単だ

畢竟(ひつきゃう)意志の問題だ

なんとかやるより仕方もない

やりさへすればよいのだと

 

思ふけれどもそれもそれ

十二の冬のあの夕べ

港の空に鳴り響ひた

汽笛の湯気や今いづこ

なんだか読んでいて切なくなってくる詩です。

思へば遠く来たもんだ」というフレーズが、遠くなってしまった幼い頃の自分との距離をより強く感じさせます。

 「頑是ない」とは、幼くて物事の道理がわかっていないようす。無邪気で幼い状況を言います。

月の出ている夜に港に立っていた12歳の詩人は、あたりに響き渡り体の中も振るわすような船の汽笛に、素直に驚いて強い印象を残したのでしょう。

時は過ぎ、紆余曲折を経て成長した今は、妻も子もある一人前の男で、あの日の自分がはるか遠くに感じられることを感慨深く思っているのです。

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「よごれちまった悲しみに」の詩にも、大人になって純粋な少年の心を忘れてしまった悲しみが描かれていましたけれど、この詩の方が、よりリアルに表現されているように感じます。 

詩人は30歳くらいで早世してますので、この詩は20歳後半頃に書いたのかなと思うのですが、それにしては、ずいぶんと疲れた感じの詩に思えます。 

 そして、疲れながらも、妻子のために生きて行かなくてはならないと、もがいているのです。

詩人の心の奥にはいつまでたっても、少年のような純粋な心があって、大人の社会を生きて行くためにはその心に従うことが難しいことも多く、矛盾に苦しんでいたのかもとしれませんね。