くきはの余生

リタイアしてようやくのんびり暮らせるようになりました。目指すは心豊かな生活。還暦目前で患った病気のこと、日々の暮らしや趣味のことなどを綴っています。

クリスマス・萩原朔太郎:華やかな西洋文化への憧れ

萩原朔太郎の「クリスマス」を読みました。

青空文庫で読めます。→図書カード:クリスマス  底本は『萩原朔太郎全集第三巻』(1977年筑摩書房) 

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幅藁朔太郎は1996年(明治19年)生まれの詩人。日本近代詩の父と言われています。

 北原白秋の雑紙「朱樂」に詩を投稿、室生犀星、山村暮鳥とともに「人魚詩社」を立ち上げて雑誌「卓上噴水」を創刊。室生犀星とは2人雑誌「感情」を発行。詩集に『月に吠える』『青猫』等があります。

クリスマス

 

         萩原朔太郎

 

クリスマスとは何ぞや

我が隣の子の羨ましさに

そが高き窓をのぞきたり。

飾れる部屋部屋

我が知らぬ西洋の怪しき玩具と

銀紙の輝く星星。

我にも欲しく

我が家にもクリスマスのあればよからん。

耶蘇教の家の羨ましく

風琴(おるがん)の唱歌する聲ほききつつ

冬の夜幼き眼(め)に涙ながしぬ。

 この詩が書かれたのは大正時代なのか、当時はまだ西洋の行事、クリスマスは知られていなかったのでしょう。

「隣の子の羨ましさに」とありますので、子どもの気持ちになって書いた詩でしょうか、クリスマスが何かはわからないけれど、なんとなく特別なことだと感じられたのだと思います。

隣の家の窓をこっそりのぞいてみると、キリスト教徒のその家の部屋は、見たこともないような飾りやキラキラ輝く銀紙の星で華やかに飾られていたのでした。 

、窓の外からコッソリ眺めているのです。

日本にはなかった新しい文化や習慣を目の当たりにしてカルチャーショックを感じたのでしょう。でも、その時の涙を流すほどの羨ましさや、我が家にも欲しいというあこがれは、のちのちの日本文化にも大きく影響して、現代のクリスマスに繋がっているように思います。

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 考えてみると、日本のクリスマスは、宗教的な部分は取り除かれて、見た目の華やかさや、楽しさを中心に取り入れられているように思います。

つまり、「西洋」という家の外から、少年が窓を通して見た見たあこがれを現実化したもののようのに感じるのです。

キラキラしたイルミネーションや、賑やかなパーティ、プレゼントやケーキ、ご馳走の数々。街でも家庭でも、色んな形でクリスマスを楽しむ人が多いですよね。でも、キリスト教徒にとってはそれがなぜお祝いなのか、本当の意味をさほど強く考えることなくお祝いだけを楽しんでいるのですね。

それが悪いわけではありません。八百万の神を信仰する風土、どんな神様でも受け入れてしまうのが日本ならではの大らかな文化なら、それはそれで良いのでしょう。