くきはの余生

リタイアしてようやくのんびり暮らせるようになりました。目指すは心豊かな生活。還暦目前で患った病気のこと、日々の暮らしや趣味のことなどを綴っています。

京都人の夜景色・村山槐多:京言葉ってやわらかいのにインパクトが強い

村山槐多の「京都人の夜景色」を読みました。

初出は『槐多の歌へる』(1920年アルス社)。青空文庫で読みました。→図書カード:京都人の夜景色 底本は『ふるさと文学館第三十巻』(1933年ぎょうせい)

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 村山槐多(1896-1919)は 洋画家。1914年に日本美術院の研究生になり、第一回二科展に「庭園の少女」が入賞しています。10代の頃からボードレールやランボーを読んで詩や小説も書いていました。

22歳の時、当時流行していたスペイン風邪にかかり夭折。翌年に詩集『槐多の歌へる』が出版されました。

 京都人の夜景色

          村山槐多

ま、綺麗やおへんかどうえ

このたそがれの明るさや暗さや

どうどつしやろ紫の空のいろ

空中に女の毛がからまる

ま、見とみやすなよろしおすえな

西空がうつすらと薄紅い玻璃みたいに

どうどつしやろええな

 

ほんまに綺麗えな、きらきらしてまぶしい

灯がとぼる、アーク燈も電気も提灯も

ホイツスラーの薄ら明かりに

あては立つて居る四条大橋

じつと北を見つめながら

 

虹の様に五色に霞んでるえ北山が

河原の水の仰山さ、あの仰山の水わいな

青うて冷たいやろえなあれ先斗町の灯が

きらきらと映っておすわ

三味線が一寸もきこえんのはどうしたのやろ

芸妓はんがちらちらと見えるのに

 

ま、もう夜どすか早えいな

お空が紫でお星さんがきらきらと

たんとの人出やな、美しい人ばかり

まるで燈と顔との戦場

あ、びつくりした電車が走る

あ、こはかつた

 

ええ風が吹く事、今夜は

綺麗やけど冷たい晩やわ

あては四条大橋に立つて居る

花の様に輝く仁丹の色電気

うるしぬりの夜空に

 

なんでぽかんと立って居るのやろ

あても知りまへんに。

村山槐多は、愛知県の生まれですが、4歳頃に京都に移り府立第一中学校卒業までは京都に暮らしていましたので京言葉を話していたのかもしれませんね。

最初読んだ時、女性の書いた詩かと思い込んでしまいました。詩の中で電車の通る音に驚いたりしているので、女性の立場で書いた詩なのかなとも思います。京言葉で書かれた独白のような詩は、やわらかいけれど、強いインパクトを感じました。

画家である詩人は、夕刻に四条大橋に立って、あたりを眺めています。本人は風景の中にいるのではなくて、端から眺めているような感じです。

視線は頭上の空の色彩の変化から、目の前に広がる街の光に移ります。この当時はまだ高層ビルなども少なくて、周りがよく見渡せたのでしょう、さらに、街の向こうに見える周辺の風景に移動します。

そしてまた視線は近くへ戻ってきて、夜になり時間の経過が感じられます。視線が遠くから近くへ、行ったり来たりしながら、詩人はいったい何をしていたのでしょうか。

「なんでぽかんと立って居るのやろ あても知りまへんに。」と、特に目的もなく、ただ四条大橋からの風景を見つめていただけなのでした。 

特に意味もなくぼんやり景色を眺めている時ってありますね。日常のことや、周りのことを忘れて、何も考えずにいるなかで、ふと、詩へつながる言葉が浮かび上がってきたり、絵のモチーフがひらめいたりします。そんなひとときだったのかもしれません。