高村光太郎の「レモン哀歌」を読みました。
『高村光太郎全集』(電子書籍) 智恵子抄に掲載の一篇です。青空文庫でも公開されています →青空文庫 図書カードNo4669
智恵子は、1886年(/明治19年)生まれの洋画家、紙絵作家で、高村光太郎の最愛の妻でした。
結婚後に総合失調症を発病し、1938年(昭和13年)に肺結核で亡くなりました。
智恵子が亡くなってから3年後に発表されたのが、高村光太郎の詩集『智恵子抄』です。
レモン哀歌
高村光太郎
そんなにもあなたはレモンを待ってゐた
かなしく白いあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ぶ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉(のど)に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう
愛する妻の臨終を詠った詩です。昭和14年2月の作となっているので、13年に亡くなって少ししてからの作品だと思われます。
智恵子さんは死の床でレモンが食べたかったのですね。間に合って良かった。
私の祖母が亡くなる時に、スイカが食べたいと言ったので、父と私とでお店を探しまわったことがありました。11月の末のことでした。
そんな時期にスイカが売っているはずもなく、やむなくメロンを買って帰りましたが、食べられずに逝ってしまいました。
それが今でも気に掛かっているので、詩の内容とは関係ないのですが思い出してしまったのです。
詩人は「トパアズ色の香気」が病んでいた妻の精神を一瞬正常に戻してくれたように感じられました。
最後の命の輝きが詩人にその愛を伝えていかのように、智恵子の握る指が力強く訴えていました。
私はこれまで、祖父母と父を看取りましたが、亡くなる直前には、回復したように感じる一時期があるものなのです。覚悟はしていても、このまま良くなってくれるのではないかと信じたいのです。
それでもやはり、「その時」は来てしまうのです。「昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして」妻はその時を迎えます。
詩からは、静かでやすらかな死であったように思われます。
一秒前には生きて詩人を愛していた人が、次の一秒でもう亡くなってしまっている。とても不思議で厳粛な時間です。
妻を亡くした詩人の喪失感はいかばかりであったのか計り知れません。
でも亡くなって素少し時間が経ってから、この詩が書けるようになった時期には少しは気持ちが落ち着いてきたのかもしれません。
あの日病室で妻が噛んだレモンを写真の前に供えて、静かに妻をしのぶ詩人の背中がイメージされました。